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縄師の縛りとSMの緊縛

縄師の縛りは、女性美を表現する上での演出に過ぎないから、縛るという行為自体が目的であるのに対し、SMにおける緊縛の場合、縛るという行為では、性的虐待や強制猥褻という目的があって、それを行うために相手を拘束するものである。
両者は、縛るという行為そのものは同じように見えても、その区別は素人でも簡単にできるほど異質なものである。

ヨーロッパにおいて、性風俗化する以前のSMは、奉仕と被奉仕の関係を指しており、性風俗化によって作られた支配と隷属の関係とは異質なものであるり、そもそも肉体的な苦痛を伴うようになるのは、フランス革命に向かう社会的な混乱の影響が大きい。
日本においても、幕末の混乱期において、そうした傾向が見られたことはよく知られている。
余談ではあるが、経済的混乱がみられる現代において、性的犯罪や暴力的行為が増加しているのは当然ともいえる。

SMにおけるカルトフィギュアとされるマルキ・ド・サドの作品にしても、フランス革命前後の社会的な混乱期に好まれた暴力的な表現の一つに過ぎない。
日本で言えば、幕末に芝居や歌舞伎などにおいて好まれた残酷物とよばれる作品群があり、そこから生まれた絵師、月岡芳年の存在があげられる。

こうした作品群は、文化的退廃により、道徳観念が希薄になると脚光を浴び、それを模倣するのは精神的に未熟な大衆である。
精神的に未熟な者が模倣するようになると、それは次第にエスカレートして短絡的な暴力などの犯罪へとつながる。
日本の第一期SMブームとされる大正末期は、文化的な退廃はみられたが、大衆の道徳観念はそれほど希薄にならなかった。
第二期SMブームとされるのは戦後から高度成長期で、ショービジネスとしての展開期であった。
第三期SMブームとされる1980年前後は、どちらかといえば風営法からの脱法性風俗としてSMクラブ乱立期であった。
現在は、日本における第四期のSMブームと位置づけられるが、風営法の規制対象となったことで、第三期で乱立したSMクラブの関係者が、SMバーやショーパブなどの営業形態でカルト的集団を形成するようになったものである。
その姿は、某カルト教団の初期の姿を見ているかのようだ。
ということで、最近はそうしたSM店の摘発が多くなっている。

同じようにSMクラブというが、第二期のものは同好会的なもので、第三期のは個室性風俗的なもので、SMに関する考え方もプレイについても全く異質なものである。
また、いわゆる女王様も、第二期のものはヨーロッパの古典的奉仕と被奉仕の関係によるものだが、第三期以降は、暴力による支配と隷属の関係と、やはり異質なものである。

SM緊縛は、第一期の伊藤晴雨に始まり、第二期の長田英吉氏や明智伝鬼氏などの緊縛師により広まる。

ちなみに、私が縛りに興味をもったきっかけは第二期のものだったが、それ以降は全く独自に展開してきており、交流のあった店はヨーロッパの伝統的SMの考え方をベースとし、同世代の第三期世代との交流があまり無かったことで、幸いカルト的な集団に取り込まれずに済んだ。
現在のSMのあり方を完全否定するつもりはないが、それが健全なSMとは言えないことは間違いない。

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はじめまして。

いいブログですね。応援してますのでどんどん更新してください。僕のブログは気悪くするかもしれないので、あまりおすすめできませんが。また見に来ますね。

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