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真・善・美の世界 -真-

真とは真理
何一つとして疑う余地の無い物事の本質
縄師にとっての真理とは美そのものである
肉体の美・精神の美・霊性の美、それぞれの段階を経て、理性の情熱による美そのものへの渇望を意味する智恵の美に至る

プラトニック

[プラトニック]
 (プラトン的の意)純粋に精神的なさま
[プラトニック・ラブ]
 肉体的欲望を伴わない精神的恋愛

 プラトン(B.C.427-B.C.347)は、著書「饗宴」の中で、肉体(外見)に惹かれる愛よりも、精神に惹かれる愛の方が優れているとし、そして、一人を愛するよりも美のイデア(個別の事物の背後に存在する本質)を愛することが更に優れているとした。

 イタリア・ルネサンス期の人文学者マルシリオ・フィチーノ(1433-1499)は、「饗宴」の注釈書「愛について」の中で、プラトニック・ラブの原型となったアモル・プラトニクスという言葉を使っている。
 これは、人間を含む万物は一者(神)から流出したものであるが、人間はその万物のうちにある美のイデアを愛することによって結果的に一者を愛し、一者の領域に(エクスタシーを経て)近づいてゆくことができるという考え方である。
 これがキリスト教的な背景を伴って転用され、男女間の禁欲的・精神的な愛を指すようになって、更に純潔主義へと変化する。

 プラトンの説いたエロス(最も高次元の愛)は、必然的に肉体的欲望への執着から解放されることを意味し、肉体的欲望そのものを否定しているものではない。
 よって、プラトニック・ラブが処女性を求める純潔主義へと転化するのは、一神教であるキリスト教という背景を抜きにはあり得ない。

 日本における処女性を伴う純潔主義は、むしろ近代化の中で生まれた純血主義の台頭によるものだと考えられている。
 実際、江戸時代以前の日本では、相手への信義に基づく純潔性はみられるが、それは時代劇で描かれているような処女性を伴う純潔主義とは異なる。

紅縄庵のキーワードは「高貴なるエロス」

人間の恋愛には様々な段階があり、真・善・美の世界に到達しようとする、最も高次元の愛を[エロス]と呼ぶ。
※プラトン著「饗宴」より
人間の恋愛の段階は、人間の欲求の発達階層説によって説明される。
一般論として、基本的欲求・欠乏欲求に基づくものを「恋」と呼び、成長欲求に基づくものを「愛」と呼ぶ。
欲求の階層説

 「饗宴」の中では、恋愛の段階を執着の対象に応じて、「肉体の美」「精神の美」「霊性の美」、そして「エロス」は、美そのものへの渇望を意味する「智恵の美」と表現している。
 これを「高貴なるエロス」という。
 現在、一般的に「エロス」という場合、肉体または性への執着とそこから生み出される作品を指し、これは「肉体の美」への執着、すなわち生理的欲求に属する性欲によるものである。
 これを「万人向きのエロス」というが、「万人向きのエロス」はしばしば「高貴なるエロス」を騙る。
 「精神の美」とは、所属欲求・愛情欲求により、「霊性の美」の霊性とは、人間としての尊厳を意味し、承認欲求・尊重欲求による。
 ここで注意しなければならないのは、基本的欲求とは、個人的・利己的欲求であるという点である。