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道徳性の発達段階

慣習的水準以前(未発達の段階)
①罰と服従への志向
②道具主義の志向

慣習的水準(社会性の獲得)
③対人同調志向
④法と秩序への志向

慣習的水準以降(社会性の発達)
⑤法律志向
⑥普遍的倫理志向

人間の道徳性は①から⑥へと発達していく。
一般的には、①②は主に幼児期の道徳性の特徴であり、③④は思春期から成人期の特徴とされる。
道徳性の発達の過程では、しばしば③④に対する反発が起こり、いわゆる非行行動がみられる。
また、一般的に大人という場合、④⑤をいい、⑥の段階に至る人間は多くないといわれている。

リビドーの昇華

縄師の美意識は、リビドー(性衝動のエネルギー)の昇華から生まれる。
リビドーの昇華とは、すなわち、性への執着から解放である。
SMにおいて言われる精神の解放とは、むしろ、性への執着を強め、性(本能)に縛りつけること。
それをリビドーの固着といい、性(本能)への呪縛ともいう。
リビドーの固着は、精神の発達を阻害するものだから、そこに精神の解放はありえない。
リビドーの昇華は、性への執着からの解放であって、性欲が無くなるということではない。

サフィズム

 かつて、女性同性愛者を意味するレズビアンと同義に使われたサフィストやサッホマニアの心理を「サフィズム」と呼んでいた。

 サッフォー、或はプサッポー、サッポー(紀元前7世紀末-紀元前6世紀はじめ)は、古代ギリシア史上最も著名な女流詩人でもある。

 女性同性愛者を指す「レズビアン」の語源はギリシアのレスボス島に因む。
 この島に住んでいたサッフォーが、少女の教育を担っていたと考えられる宗教的女性結社の指導者で、アプロディタ女神への讃歌や官能的な恋愛の詩を多数作ったことから、後世、女性同性愛者とされたことに由来する。
 しかし、古代ギリシアの伝説では、サッポーは美青年への恋に失恋したため、崖より身を投げて自殺したともされ、またその作品からしても、同性愛であったかどうかは疑問である。
 「サフィズム」は、同じく女性同性愛を指して用いられるが、対象が思春期以下の少女の場合に用いられることが多い。

 レズビアンは、日本では「レズ」という略語が用いられるが、歴史的に含まれた侮蔑的ニュアンスを嫌い、意図的に「ビアン」と略す場合もある。
 現在、「S」というと「サディスト」を指すが、20世紀前半までは「S」といえば「サフィスト」の略として、女性同性愛者を意味していた。
 一般的には、性的指向としての女性の同性性向者の場合にレズビアンを用い、美的指向としての女性の同性指向者の場合にサフィストを用いる。
 つまり、思春期の女性が同性に惹かれる場合、相手は性的欲求の対象としてではなく、美に対する憧れの対象としてなのである。
 サフィズムは、性的指向に目覚める以前、思春期以下の年代の女性には珍しいことではなく、この感覚は同年代の男性においても同じであると考えられ、いわゆるリビドーの一種であるが故に恋愛感情と誤認しやすい。
 通常、サフィズムは、思春期以降に「昇華」してその人の美意識の一部となる。
 現在では女性同性愛者はレズビアンと呼ぶのが一般的で、サフィズムが使われることはほとんどなくなったのは、それが女性特有のものではないと考えるからである。
 
 男性の性同一性障害やロリータ・コンプレックスなどは、男性におけるサフィズムを原因とする場合が多いとされる。
 俗にいう女装マニアは、男性におけるサッホマニアの一例とする考え方もある。
 これらは、本来「昇華」されるべきサフィズム(リビドー)が「固着」したものと考えられ、思春期以降で特に性的な色合いが強いものに「サッホマニア」という呼び方をされる場合もある。
 
 また、一般的に年齢の低い女性ほど女性的な顔立ち(俗に中性的といわれる)の男性を好む傾向が強いのも、サフィズムによる傾向である。

DVの危険度チェック

以下はデートDV関連の書籍の中でよく見られる、女性から質問して、危ない男性を見抜くためのチェック項目の一部である。
これらが掲載されている書籍は、ほとんどが女性被害者の保護という立場で、被害者は100%が女性という前提で、女性によって書かれているため、いくつかの設問や解答、解釈に、曖昧な表現や主観的と思われるものが含まれ、これで適切な判断を下すのは難しいと思われる。
ここでは、心理学や精神医学などの見解と比較し補足を試みた。


どんな女性がセクシーだと思う?
一般的な書籍では、肉体的な部分を答えるのは×で、人格的な部分について答えるのが○としているものが多い。
しかし、セクシーという言葉自体が性的な魅力という意味だから、設問自体に問題がある。
親友は誰?
友だちは多い?

「親友はあなた」という答えは要注意。
一般的に男性と女性では友だちの概念が異なり、男性の方が友だちは少ないのが普通である。
私の友だちで嫌いな人がいる?
「○○が嫌い」という答えは要注意。
交友関係の制限に発展する可能性があるとされる。
子どもはいつ欲しい?
「今すぐ欲しい」などというのは危険。
DVは、結婚までの交際期間が短いほど多い傾向がある。
住まいの名義は共同にしましょうね?
DV加害者は、経済的に支配するために難色を示す場合が多いとされる。
しかし、この質問の仕方には疑問あり。
避妊についてどう思う?
避妊に協力しないのはその時点で暴力。
自分の両親のことをどう思う?
DVのきっかけは両親との関係に由来する場合が多い。
職場の女性からセクハラだって言われたことある?
すべての男性がセクハラをする、またはしているという前提で書かれている書籍が多い。
結婚したら仕事はやめて欲しい?
いくつかの書籍では、暴力から逃れるために仕事は続けるべきとしている。
お互いのプライバシーは尊重しましょうね?
多くの書籍で、「すべてを知りたい」=プライバシーを認めないと位置づけている。
恋愛関係において一般的なこの言葉を、プライバシーの問題として取り扱うのは不適当。
家計費はどちらが管理する?
即、自分と答える場合は要注意。
一番つらかったことは?
一番嬉しかったことは?

共感できるかという設問。
生意気な女とは?
多くの書籍で、これを答える男性は要注意とされる。
私のどこが好き?
抽象的な答えは要注意。
生き方で憧れている人は?
どの書籍でもこの設問の解説は不明瞭。
私をバカにしない?
DV加害者は、バカにするようなことをくり返し、共依存関係をつくる。
私の話を最後まで聞いてくれる?
DV加害者は自己中心的で相手の話を聞かない。
しかし、DVとは関係なくても相手の話を最後まで聞かないのは女性のほうが多いといわれる。
人を殴ったことがある?
具体的な状況を聞いて、相手のことを恐いと思ったら要注意。
男性と女性はどっちが偉い?
平等または対等と答えるのが普通。
どちらかが偉いと答える場合は要注意。
同性愛ってどう思う?
人権感覚を問う設問とされるが、多くの場合、人権に関する認識と感覚は一致しない。
DVについてどう思う?
この質問をするのが恐いと感じたら危険信号。

マニアとオタクとエンスージアスト

 マニアの語源はギリシャ語で狂気(madness)であり、自身の趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「~狂(きょう)」と訳される。
 英語でマニア(Mania)とは、熱狂、熱狂の対象あるいは精神疾患のひとつである躁病を意味する言葉である。
 また、フリークス(Freaks)という言葉は、英語では「奇人・中毒者」などの意味を持つ。

 日本語のマニアに該当するのは、エンスージアスト(Enthusiast)であり、特定の品を収集するものは、収集家・コレクターと称する。

 マニアとオタクは同義に用いられるが、性的指向に関する研究において、性嗜癖を有する者を全般にマニアといい、区別する際には、対象や行為の相手が現実の人間である場合にマニアを用い、それが現実の人間を対象としない場合にオタクという。
 故に、オタクを無性指向(古い言い方だと無性愛)に分類する専門家もいる。
 オタクの場合、性に関心を持つ以前の段階で、特にマンガやアニメなどにより性や暴力に関する情報(※↓)に触れることに起因し、現実的な人間関係の構築を苦手とし、性格的には衝動性と幼児性に特徴があるとされる。
 マニアもオタクも、同じ趣味や嗜癖を有する者との間の帰属意識が強い傾向がある。
 マニアとオタクの大きな違いとして、マニアの躁的傾向とオタクの鬱的傾向をあげる研究者もいる。
 マニアが仲間内で自分たちを変態と称するのは、躁的傾向によるもので、それによって帰属意識をより強める為であると考えられており、オタクの場合には、強い帰属意識を持ちながら、同時に他者との相違性や自己の優位性を意識している為、単独もしくは少人数での行動が目立つ。
 
 最近増加している猟奇的な犯罪の多くは、マニアやオタクといったレベルの問題というよりは、マニアやオタクを面白がっている社会が生みだした、もっと根本的な部分での病的な性癖(人格の偏り)の問題と考えるべきである。
 また、オタクの性的指向を無性指向と考えるなら、現実の人間を対象とした性犯罪も、性的指向の問題ではなく、やはり性癖の問題と考えるべきである。

 リビドーの固着と昇華(※過去の記事参照)という観点でみると、マニアもオタクもリビドーの固着によるものと考えられ、オタクの場合には、それがより早い時期に起こったものということになる。
 ちなみに、エンスージアストは、一般的にリビドーの昇華によるものを指す。

リビドーの固着と昇華

フロイトは、性衝動を起こすエネルギーを「リビドー」と呼んだ。
「リビドー」は、
赤ちゃんの時期の「口唇期」
1歳半~3歳くらいまでの「肛門期」
3~4歳くらいからの「男根期」
一般的には、7~12、13歳くらいまでの休止期「潜伏期」に入る。
その後の性衝動の爆発期を「思春期」に分けられる。
欲求と恋愛

リビドーは、図では「生理欲求」に関わるものである。
リビドーは、性衝動を起こすエネルギーであると同時に、攻撃衝動を起こすエネルギーでもあり、そこから次の「安全欲求」におけるサディスティック・パーソナリティが形成される。
人間の成長過程において、その成長過程に応じたリビドーが過度に抑圧されることなく、満たされることが必要である。
逆に言えば、成長過程で抑圧されたリビドーは、その段階にとどまり、幼児性となって表れる。
これを「固着(こちゃく)」と呼び、様々な依存症や性嗜癖の原因になると考えられている。
例えば、性的サディズムは、性衝動と攻撃衝動が抑圧され「固着」した典型的な例である。
普通の人間は「潜伏期」の間に、親や社会との関係の中から、リビドーを自己抑制する能力を 身につける。
自己抑制することによって、外部からの抑圧を軽減することができるのである。
だから、学校教育が行われる時期、日本では、小学校から中学校という時期も、リビドーの休止している「潜伏期」を選んで行われているのである。

リビドーが社会的に容認される方向に向けられ、その衝動が満たされることを「昇華(しょうか)」という。
言い方を変えると、リビドーが性的な目標(対象や行為)から遠ざかって、例えば知識欲などの別の目的に向かうことで、抑圧を免れることである。
すなわち、初期の「昇華」も、リビドーの「潜伏期」、学校教育の時期に始まるのである。

一般的に、「昇華」するによって「固着」は起こらない。
ただし、幼児期からの英才教育は、周囲から方向づけれたもので、「昇華」につながることは稀で、むしろ「固着」の原因となる場合が多いと言われている。
「昔は神童、今は凡人」という言葉はまさにこれであるが、現代社会は、日常的に性や暴力に関する情報が氾濫しており、「昔は神童、今は危ない人」になりかねない。
PTSDが原因となって、「固着」が起こる場合もある。

人間の脳の弱点

ローレンシア大学の神経解剖学者パーシンガー博士によれば、人間の脳の判断を司る部位である側頭葉にある弱点によって、人は皆、集団や他人の影響を受ける。
脳は、電磁信号と神経伝達物質のやりとりで物理的に機能しているから、例えば、磁気パルスによって側頭葉を活性化してやると、その活性化によって神秘体験や帰属意識を発生させることができる。
例えば、古い自分を脱ぎ捨てて生まれ変わったように感じたり、新たな秩序への帰属感を感じたりする。
つまり、集団や他人との一体化や帰属意識は、側頭葉の活発化によって起こる。
逆に言えば、側頭葉の活動が活発な人ほど、他人から騙されたり、操られたりしやすいといえる。
そして、ある種の言葉は、脳に磁気パルスと同様の刺激を与える。
 
また、人間の脳は、最初あらゆる言葉、感覚から得られた情報を、真実として受け止め、その後に内容を吟味して、最終的に真偽の判断をする。
これを「反証過程」という。
人間の脳は、すべての情報を真実として受け入れてから反証するため、反証を邪魔されると、うそを真実と判断してしまう。
博士は、磁気パルスによる刺激を与えながら、簡単な正誤問題を解く実験によって、特定の周波数の磁気パルスによって、うそ(誤)を真実(正)として判断してしまうという結果を出している。
先に述べたように、ある種の言葉や話し方は、磁気パルスと同様の刺激である。

例えば、カルトにおける神秘体験や帰属意識は、人間の脳の弱点を巧みについたもので、独得の言葉と話し方によってひきおこされるものである。
カルトのような特殊な例だけではなく、恋愛における相手の言葉にも同様の効果がある。

反証は、その人の知識や経験を素材として行われるから、偏った情報しか与えられていない場合、反証の結果は正しいとは限らない。
水が低きに流れるがごとく、人間の心理も低きに流れる。
つまり、人間の知識や経験は、正しいか、誤っているかよりも、より大衆的で自分に都合が良いものだけを選択する傾向がある。

「知識」とは、感覚から得られる情報
「知性」とは、知識を整理、統一化して認識に至らせる精神機能

偏った情報しか与えないことで大衆を誘導することを「反知性主義」と呼び、これは「拝金・拝物主義」の常套である。
現在、日常的に目にする情報は、基本的には「拝金・拝物主義」に基づくものである。

現代社会において、真偽をより正しく判断するためには、あえて日常的には目にすることのない幅広い情報まで収集しなければならない。

「人格」に関する基礎の基礎

フロイトは、人の心を「意識」「前意識」「無意識」の三つの領域に分けたが、「無意識」だけでは説明できないエネルギーのようなものがあると考え、改めて「エス」「自我」「超自我」の三つに区分した。

心


「エス」とは、無意識の中にあって、本能のまま、欲望のままに生きようとするエネルギーで、「リビドー」は「エス」の一部である。
「エス」は、英語の「it」にあたるドイツ語で、超自然的なもの、人間以外の世界を動かす存在、自分の中に存在しながら、その存在が自覚できないものという意味で使われる。
規律も秩序も合理性もなく、爆発的で情熱的な力とされ、例えるなら赤ちゃんの心だと言われ、最近よく使われる「ドS」という表現は、サディズムのSではなく、こちらの「エス」だと考えた方が適当とする意見も多い。

「超自我」は、その人の心の掟であり理想であり、良心ともいわれる。
その人が育っていく社会や宗教、道徳や倫理などを取り入れ、さらにしつけや学校教育によって強化される。
ただし、「超自我」は3、4歳頃にはできあがっており、それは、親自身の「超自我」を手本として形成される。
しつけは、子ども自身が愛情と認識したものしか受け入れず、虐待やいわれない体罰は、敵意として排除されて「超自我」にはならない。

「自我」は、理性や思慮分別のことである。
「自我」と「エス」の関係は、暴れ馬と騎手の関係に例えられる。
騎手である「自我」は、暴れ馬である「エス」をコントロールしようとするが、爆発的な力をもつ「エス」を完全にはコントロールできず、人は常に「エス」に振り回される。
一方で、「自我」は「超自我」からの命令も聞かなければならず、つまり現実の生活へも対応しなければならない。
故に、「自我」は、自分自身をコントロールするための機能を持つ。

 現実機能・・・現実の自分の能力や人となりを把握する機能
 防衛機能・・・「エス」と「超自我」のバランスを保つ機能
 適応機能・・・周囲の状況と、自分の能力や目標をうまく適応させようとする機能
 統合機能・・・日常生活や社会生活に適応できる人格を形づくろうとする機能

「自我」は、これら機能によって、現実とエスと超自我を調整するもので、そこに形成されるのが「人格」である。