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レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ

レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ男爵
(Leopold Ritter von Sacher Masoch)(1836-1895)
小説家
オーストリア・ハンガリー二重帝国下のガリツィアのレンベルク (現、 ウクライナ領リボフ) の生まれ
プラハとグラーツの大学で歴史学を学び、 弱冠 20歳でグラーツ大学の新鋭歴史学講師として立ったが、まもなくアカデミックな経歴を放棄して作家稼業に専心
主として故郷ガリツィアの農民やユダヤ人の生態をテーマに数々の物語を書く。

代表作『毛皮を着たビーナス』(1870)

 しかし、全くの無名作家であったマゾッホの名が知られるようになるのは、精神科医クラフト・エービング の『性的精神病理』(1886-1903)において、自虐性としてのマゾヒズムという言葉の創案(1890年頃)以降のことである。
 ちなみに、エビングがマゾヒズムという言葉を創案した時、マゾッホ自身はエビングに対して抗議している。

 マゾッホの生涯については、その恋愛遍歴や結婚後、妻に自作の女主人公の名を名のらせ、小説の筋書どおりの姦通を強要するなど、多少は知られてはいるが、人生の大半を監視の眼の中で過ごしたマルキ・ド・サドとは異なり、無名の作家の生涯について詳しい記録があるわけではない。
 故に、マゾッホの人物像は、主にその小説に描かれた登場人物からの想像され、後世の人々によって描かれるマゾッホの生涯、人物像は、マゾヒズムを前提として、ことさらにマゾヒズムを強調して描かれた傾向がある。
 多少知られているマゾッホの生涯からみると、マゾッホの性的興奮材料となっているのは嫉妬心だといわれ、マゾッホの恋愛や結婚の破綻の原因ともなっている。
 マゾッホの性嗜癖、それは自虐性であるから精神医学的マゾヒズムである訳だが、一般の人がマゾヒズムに対してイメージする被虐性というものは見られない。
 被虐性のイメージはその作品によるものであるが、マゾッホの小説は、マルキ・ド・サドの影響によるものであることは疑う余地は無く、それはサド崇拝を意味する社会学的サディズムであり、マゾッホは最も代表的なサディストであるということができる。
 その観点からマゾッホの作品をよくよく見てみると、男女の立場が入れ替わっているだけで、サドの作品を模倣しただけあることがわかる。
 つまり、サドという存在とエビングによるマゾヒズムという言葉の創案がなければ、マゾッホ自身やその作品に特筆すべき価値は無いのである。

蝋燭(ロウソク)について

●植物系の蝋
 ハゼ蝋
 ウルシ蝋
 カルナウバ蝋(カルナバ蝋)
   ブラジルロウヤシの葉の表面を覆っている蝋
 サトウキビ蝋
   サトウキビの葉や茎の表面を覆っている蝋
 パーム蝋
   アブラヤシの幹から採取される
●動物系の蝋
 蜜蝋(ビーズワックス)
   ミツバチが巣を作る際に分泌する蝋
 鯨蝋
   鯨油を分離した残りの固体蝋
   ※幕末の黒船は、これを作る為の捕鯨中継基地確保が目的のひとつだった。
 イボタ蝋
   カイガラムシの一種の雄幼虫が分泌する蝋
 羊毛蝋
   羊毛の表面を覆う脂質に含まれる蝋成分
●その他のワックス
 モンタンワックス
   褐炭より溶剤抽出で作られる
 パラフィンワックス
   原油の蒸留過程で取り出される
 合成ワックス
   炭化水素系化合物を化学合成

●パラフィンロウソク
 原油の蒸留過程で取り出される直鎖状炭化水素が主成分。
 20世紀以降、動植物由来の蝋に替わって広く用いられている。
 パラフィンはほとんどの化合物に対して反応性が低いが、着火すると速やかに燃焼する。
 融点は、炭素数により異なり、パラフィンパックなどに使われる約42℃~65℃位まで様々。
●和蝋燭(わろうそく)
 櫨(はぜ)の実から搾り取った木蝋を加熱して溶かし、和紙およびイグサの芯から作った灯心で作った芯の周りに手でかけて乾燥させて作る。
 完成した蝋燭は、断面が年輪状になる。
 ハゼの油のみで作った蝋燭が最も高級とされ、西洋蝋燭に比べ光が強く、長時間保つと言われ西洋蝋燭に比べカーボンが少ない。

マルキ・ド・サドの遺言

マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)(1740-1814)
正式名:ドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド
フランス革命期の侯爵、作家
サディズムの語源として広く知られるが、サド自身はサディストであると同時に、自らサディズム行為の対象となることもあった

●主な著作
『美徳の不幸』
『ジュスティーヌ(美徳の不幸)』
『アリーヌとヴァルクール(哲学小説)』
『閨房哲学』
『新ジュスティーヌ(美徳の不幸)』
『ジュリエットの物語(悪徳の栄え)』
『恋の罪』
『悲惨物語』
『ソドム百二十日(淫蕩学校)』
『司祭と臨終の男との対話』

著作の多くは獄中で書かれ、自己の境遇や現状から生じた反社会性と、満たされない性的欲求をエネルギーとしていたといわれる。

●略歴
1763年(23歳)
  5月 王家の許可を得て、ルネ・ぺラジー・コルディエ・ド・ローネーと結婚
 10月 サドの最初のスキャンダル、ジャンヌテスタル事件
     ヴァンセンヌの獄に収容される
 11月 エショフールにとどまることを条件に、釈放される
1768年(28歳)
  4月 アルクイユ事件
     ソーミュールの城に拘留
     ソーミュールからピエール・アンシーズ要塞に移される
  6月 パリのコンシェルジェリー監獄に移される
     ピエール・アンシーズ要塞に移される
1772(32歳)
  6月 マルセイユ事件
 12月 シャンベリーにて逮捕
     サヴォワ州のミオラン要塞に送られる
1773(33歳)
  4月 ミオラン要塞より脱走
1175(35歳)
     少女スキャンダル
1777(37歳)
  2月 逮捕され、ヴァンセンヌの牢獄に連行
1778(38歳)
  7月 罰金を科せられ、3年間マルセイユを追放される
     前日の判決にもかかわらず、再びヴァンセンヌに送られることに 
     ヴァランスに滞在中、逃亡
  8月 ラ・コストにて逮捕される
  9月 ヴァンセンヌの牢獄に収容され、11年間の拘留の始まり
 12月 紙とインクの差し入れを許可
1784(44歳)
  2月 バスティーユに移される
1789(49歳)
  7月 シャラトン精神病院に送られる
     フランス革命勃発
1790(50歳)
  4月 釈放
1791(51歳)
     「美徳の不幸」が匿名で出版、サドの初出版となる
1793(53歳)
 12月 反革命のマテュラン街の自宅にて逮捕
     マドロネット修道院に監禁される
1794(54歳)
  1月 レ・カルム僧院に送られる
     サン・ラザール監獄に送られる
  3月 病気を理由に、ピクピュス療養所に移され死刑判決を免れる
 10月 過激派の失脚後、釈放
1801(61歳)
  3月 「新ジュスティーヌ」を出版したマッセ書店が警察の捜査を受け逮捕される
  4月 サント・ペラジーの牢獄に送られる
1803(63歳)
  3月 ビセートル獄に移される
  4月 シェラントン・サン・モーリス精神病院に移される
1806(66歳)
  1月 遺言状をしたためる
1814(74歳)
 12月 死去
     シェラントンの墓地に埋葬される
     家族は、サドの霊を恥じて墓石には名前すら彫られなかった

●遺言
 「私は人類の精神から自分の記憶が消し去られることを望む」

しかし、後世の人間は、マルキ・ド・サドの遺言とは正反対に、サド(もしくはその作品)をカルト・フィギュアにまつりあげ、暴力を正当化するカルト的思想を形成し、それを社会学的サディズムという。
現在しばしば使われるSやMは、どちらも社会学的サディズムに属するもので、精神医学上のサディズムやマゾヒズムのことではない。
※精神医学上のサディズムは、DVにおける加害者の心理などの犯罪心理を指し、同マゾヒズムは、それに対する共依存症のことをいう。

SMに関連する人物について

●性風俗としてのSMプレイ
 16世紀・フランスの娼館が発祥とされる

マルキ・ド・サド(1740-1814)フランス・作家
マゾッホ(1836-1895)オーストリア・作家
月岡芳年(1839-1892)浮世絵師

●クラフト・エビング(1840-1902)オーストリア・精神医学者
 『性的精神病理』(1886-1903)12版
         ※サディズム・マゾヒズムは6版以降
 日本では『色情狂編』の名で日本法医学会(1894)発禁
     『変態性慾心理』の名で出版(1913)以降

●サドについて日本に紹介
 木々高太郎(1897-1969)大脳生理学者・作家
 式場隆三郎(1898-1965)精神病理学者・評伝を紹介
 澁澤龍彦(1928-1987)仏文学者・作品を紹介

●サド作品に影響を受けた作家・芸術家
●月岡芳年の「無惨絵」の影響を受けた作家・芸術家
 伊藤晴雨 (1882-1961)画家・風俗研究家
 江戸川乱歩(1894-1965)作家
 三島由紀夫(1925-1970)作家

●『奇譚クラブ』(1946)創刊
(1951月刊化-1975)(1955)一時発禁
団鬼六(1931-)
 懸賞小説入選(1956)
 『花と蛇』投稿(1961-)

●長田英吉(1925-2001)
 オサダ・ゼミナール設立(1965)
 ストリップ劇場に進出(1978年頃)
 「緊縛」という用語を最初に使ったといわれる

●明智伝鬼(1940-2005)
 活動開始(1970年代)
 SM緊縛において「縄師」という呼称を最初に使ったといわれる(?)