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取り調べ監督制度

警察官による不当な取り調べをチェックする取り調べ監督制度が、1日から全国の40の警察で試験的に始まる。
警察庁では、問題点を洗い出し、来年4月の本格実施に備える。
取り調べの監督制度は、捜査部門以外の「監督官」と呼ばれる警察官が取り調べの状況をチェックするもの。
富山県や鹿児島県で不当な取り調べが相次いだことを受けて、すでに試験的に導入している7つの警察本部を除く全国の40の警察で1日から始まる。
この制度で「監督官」は取調室の外から中が透けて見える鏡をのぞき、取り調べにあたる捜査員が容疑者の体に接触したり、不安を覚えさせるような言動を取ったりしていないかなどをチェックする。
問題が見つかった場合は、取り調べをやめるよう求めることができるほか、問題があると疑われる際には取り調べの状況について捜査員に説明させることができる。
試験運用では「監督官」の体制や方法が十分かどうか確認するということで、警察庁は10月から2か月間かけて全国の警察に聞き取りをして問題点を洗い出し、来年4月の本格実施に備えることにしている。
<NHKニュースより>

1742年に公事方御定書(くじかたおさだめがき)が制定されてからは笞打(むちうち)・石抱き・海老責(えびぜめ)・釣責の四つが拷問として行われた。
その中でも笞打・石抱は「牢問」、海老責・釣責は「(狭義の)拷問」というように区別して呼ばれ、その危険性の高さゆえ、「(狭義の)拷問」は「牢問」よりも厳しい要件が定められていた。
拷問が行われるのは、殺人、放火など死罪となる重犯罪の被疑者に限られ、その上共犯者の自白や証拠品の確保などによって犯罪が立証されていることが必須であり、なおかつ、拷問の実施には老中の許可が必要だった。
町奉行所の役人が独断で拷問を行うことは、法制度上では禁止されていた。
江戸幕府最後の南町奉行所で与力だった佐久間長敬の書き残した文章によれば、拷問を使わずに犯人から自白を引き出す吟味役を有能とする風潮が存在していた。
これは拷問しにくい環境が整っていたことを示している。
但し、現代のような科学捜査の無い当時の犯罪捜査は自白中心だったことから拷問を廃止するのは不可能だった。
無論、拷問する側も拷問の実施要件を厳格に定めていたことから自白中心主義の問題には気づいていたと思われる。
明治以降の警察制度における物的証拠よりも自白を重視する自白中心主義は、江戸時代の自白中心主義とは根本的に異なる点に注意しなければならない。
特に科学捜査が発達した現代警察において、自白中心主義が存在すること自体がナンセンスなのである。

江戸時代の町奉行所での取り調べは、吟味方与力とその配下の同心が行なわれるが、その際には吟味方以外の役人が立ち会うことになっており、拷問を行なう際には特に厳格に適用されていた。
これは、罪の容疑が濃厚で自白しない罪人に関して、刑部省の役人の立ち会いのもと拷問が行なわれた律令の制度に由来する。
つまり、今回実施される取り調べ監督制度は、千年の歴史がありながら、近代警察が廃止した伝統的な制度をそのまま復活させたものなのである。

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