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作品から


多くのSMマニアが江戸時代にもSMが存在したという根拠とするのがこうした春画である。
「イヤよイヤよもスキのうち」という論理で描かれた艶本は多いが、それは洋の東西を問わず、性犯罪者の多くに共通する論理であり、いわゆる性的サディズムという犯罪心理の自己正当化の典型的な例である。
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これは、幕末から明治にかけて「無惨絵」で知られる月岡芳年の作である。
そもそも「無惨絵」とは、幕末に流行した「残酷物」と呼ばれる歌舞伎や芝居を題材としたもので、この絵もいわゆる「鬼婆」や「山姥」と称される昔話を題材としている。
明治から大正にかけて輸入された欧米の性風俗としてのSMと、月岡芳年の作品を結びつけた作家や画家は多かった。
その代表として挙げられるのが伊藤晴雨であり、その作品としての「責め絵」である。
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また、その影響を受けたSMマニアの多くは、江戸時代以前の拷問をSMと結び付けている。
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そうして生まれたのがいわゆるSM緊縛である。
問題なのは欧米から輸入された時点で、既に欧米におけるSMに対する認識自体が性犯罪を正当化する方向、虐待行為へとゆがんでいたということである。
すなわち、精神医学上の犯罪心理としてのサディズムや、マルキ・ド・サドやその作品をカルトフィギュアとする社会学的サディズムに関する知識が欠落していたという問題である。
つまり、SM緊縛の歴史は、現実的にSM緊縛に相当する作品は伊藤晴雨以前に遡ることはできない。
しかし、虐待ではない、性的な指向とは異なるものがあったことはわかっている。
それが江戸時代の縄師による美人画である。
私自身は一度だけ目にしたことがあり、現在も個人の蒐集家が所有していると思われるが、所在は不明である。
有名絵師の作品ならなんらかの形で表にも出るのだろうが…。

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