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SMとは(語源)

SMという言葉が使われるようになったのは、1920年代、ヨーロッパの精神医学において、性風俗における心理の研究に関してであった。
いわゆる嗜虐プレイの精神医学的考察の過程で、それをセクシャル・マゾヒスティック・プレイ、略してSMプレイと呼んだのが始まりとされる。

サディズムとマゾヒズムという言葉は、既に学術用語として使われていたが、精神医学的には両者は全く無関係の独立した精神性として認識される。
つまり、依存的攻撃性という犯罪心理としてのサディズムと、自虐性としてのマゾヒズムは、対になるものではないということである。

そもそも、サディズムは特に性犯罪者に顕著な特徴ではあるが、暴力的な犯罪に全般において見られる心理である。
また、マゾヒズムが性的な心理とされるのは、語源となったマゾッホの小説の影響である。
精神医学上のマゾヒズムは、あくまで自虐性である。
その作品については、マルキ・ド・サドの作品に影響を受けた結果として、第三者からみれば被虐性ととれる内容があることは確かだが、マゾッホ本人には、性的な自虐性はみられるが、いわゆる被虐性といえるような言動の記録は無い。

サディズムとは、虐待の加害者に見られる自己正当化の心理を指し、現在では主にドメスティック・バイオレンスにおける加害者の心理として扱われる。
この場合、一般にマゾヒズムと誤解されることが多い、虐待を受け入れてしまう被害者の心理は共依存であるから、サディズムと対になるのはマゾヒズムではなく共依存症なのである。

また社会学的なサディズムとは、サドの作品の発表以降、サド及びサド作品をカルト・フィギュアとする狂信を指す。
現在のいわゆるSMマニアとは、99.99%以上がこれに属するといわれ、この場合には、いわゆるSもMもサディストと定義される。
これは、精神医学的には解釈妄想症に分類される。
Sを加虐性、Mを被虐性とするのは、社会学的サディズムに属するSMマニアによるもので、SMをサド-マゾというのも同じである。

ちなみに、社会学的サディズムでは、某カルト教団の事件で話題となったマインド・コントロールの手法が用いられる。
SMプレイは、きわめて個人的な趣味と考えられがちだが、実はカルト的な集団に属しているのと同様の形態があり、自分からそこを離れることはほとんど皆無で、そこから離すためには、某カルト教団の脱退信者に行われたような、環境を整えた上での専門的かつ長期的なカウンセリングの手法が必要である。
ただし、日本でそれができる専門家を私は知らない。
SM系といわれる店でSMマニア相手にこういう話をしても、その時は納得して聞いているが、馬の耳に念仏、あっという間に元に戻ってしまう。
ちなみに、ドメスティック・バイオレンスの加害者や被害者にも同じようなことがいえる。
そのままにしておくと、70代、80代になってもそのままで、SMマニアの間で先生と呼ばれている人は珍しくない。


本題のSMプレイとは、マゾヒズムの同一視によって、相互に性的な従順な役割(ロール)を生じると考えられ、SMプレイとは支配と隷属、加虐と被虐という役割を相互に与えることで行われる性的なロールプレイ(イメージプレイと考えてもよい)をいう。
ただし、これは社会学的なサディズムがベースにあってのことで、それが無い場合はドメスティック・バイオレンスそのものとなる。
しかも、性風俗という環境に限定される。

社会学的なサディズムの発生以前、またはサドの時代(フランス革命期)以前のSMとは、純粋な奉仕と被奉仕の関係をいい、16世紀のフランスの娼館が発祥とされる性風俗としてのSMプレイも、その延長だったといわれている。